広告(CM)とPRの違いとは?



商品を社会に広く知ってもらうために、これまではマスメディアに広告を打つことで認知度を高める方法が主でした。テレビでいえば、番組の間に放送されるテレビコマーシャル(以下「CM」)です。


一方、先に述べたように、私があなたにおすすめするのは「テレビ番組に取材させる」方法です。テレビに出演することでCMと同様に、認知度を上げたり、ブランディングにつなげたりするわけです。


この手法は、広報の世界では「PR」と呼ばれます。「自己PR」や「地域PR」といった言葉に使われる「PR」です。そういうと「アピールすること」や「プロモーションすること」を連想してしまいがちです。


しかし、正確にはそうではありません。


「PR」とは「パブリックリレーションズ(Public Relations)」の略。パブリックリレーションの解釈もさまざまですが、個人的には、あなたの会社や商品が、「みんな(Public)とよい関係(Relations)」を築くことだと考えればよいと思います。





企業でいえば広報部が行うのがPRです。一方、CMなどのテレビ広告は宣伝部によって行われます。どちらも「世間の認知度を上げるための施策」であることは同じです。


しかし、PRと広告は大きく異なるものなのです。その違いはどこにあるか、あなたはわかるでしょうか。


もっとも大きな違いは、料金を支払うか否かです。広告は、テレビや新聞、雑誌、Web媒体といったメディアの広告枠を購入して、その枠を使って、自分の伝えたいことを広く世に知らしめます。


これに対して、PRでは基本的に料金は発生しません。自分の伝えたいことではなく、あくまでメディアや、メディアがターゲットとする読者や視聴者に役立つ情報を提供することで、お金をかけずに取材してもらうのです。


CMを配信しようとすると多額の費用が発生します。キー局の地上波であれば、広告枠の購入費とCMの制作料金を合わせて数千万~数億円の費用がかかることもあります。しかし取材させるのはタダです。


テレビ番組の放送作家として、取り上げたい商品の会社に電話をかけたときなどに、よく「取材してもらえるのはありがたいけど、お金はいくらかかるの?」と尋ねられることがありますが、番組出演の際にお金を要求する地上波キー局のテレビ番組はありません。


出演依頼の際、もしも金銭の要求があるようであれば、まずは詐欺の可能性を(後で紹介する〝タイアップ〟などを除いて)疑ってみたほうがよいでしょう。


視聴者に信頼してもらえるPR


視聴者の信頼度も広告に比べれば、PRのほうが断然高くなります。


たとえばマツコ・デラックスさんが、いくらテレビCMでお弁当のハンバーグを頬ばりながら「これ、うっま!」といっても「そうか、じゃあ買ってみようか」となる人は少ないでしょう。CMタレントとしてギャランティをもらい、仕事としてやっていることが、誰にもわかるからです。



一方、TBSの人気番組「マツコの知らない世界」で、マツコさんがスイーツを口にして「何コレ? むっちゃくちゃうまいじゃないか、コノヤロー!」といいながらうっとりと目を細めたらどうでしょう。


あなたも思わず、食べたくなりませんか?


実際に、この「マツコの知らない世界」では、紹介された商品がスーパーマーケットやネットショップで、すぐに売り切れることが繰り返されてきました。


私自身、番組内でマツコさんが「何これ、すっごい切れる! 力、全然入れてないのよ、気持ちいい!」と感嘆していたペティナイフを放送直後にネットショップで買おうとしたら、すでに売り切れとなっていたため、つい、入荷を待ってまで購入したこともあります。


これはマツコさんが「お金をもらって宣伝しているのではないと知っている」から。だからこそ、視聴者に信頼されるのです。


広告とは、ある種の自画自賛です。たとえるなら「私って、こんなにスゴいんだよ!」と面

と向かっていわれているようなものです。


それに対して、PRは「あの人って、けっこうスゴいんだよ」と、友人から教えてもらっているようなもの。ですから第三者によるクチコミやレビューと同じような効果があります。


口コミやレビューといった第三者から間接的に情報が伝達することによって、より信憑性や信頼感が増すことを心理学用語でウィンザー効果といいますが、ウィンザー効果が発動するのは、第三者に対して利害関係がない場合のみ。


テレビショッピングなどを除き、地上波キー局で放送されている通常の番組は、商品を番組で紹介することで利益は1円も得ていません。だからこそ信頼してもらえるのです。


新聞広告よりも「ブログ」や「メルマガ」

私が「広告」とPRの違いを肌で実感したのは、版元さんの好意と戦略で、著書を朝日新聞や日本経済新聞の1面の広告欄で紹介してもらったときのこと。


せっかく広告を出してもらったのに、著書のAmazonランキングはわずかに上昇しただけでした。


全国紙の1面に広告を出稿するには、数十万円の費用がかかるといいますが、少なくとも私自身は、それほどの費用対効果を実感することができなかったのです。


それにくらべれば、著名な書評ブロガーのブログやメルマガで紹介されたほうが、はるかにAmazonの売上は伸びました。


これも新聞広告がお金を払って出稿したものであるのに対して、書評ブロガーの方やメルマガの発行者が、対価を受け取ることなく紹介してくれているからです。まさしく、ウィンザー効果が発動したのです。


恋は「待ち伏せ」よりも「偶然の出会い」で芽生える


もう1つ、意図せずに「偶然、見た」ことも信頼性を高める要素です。ネット検索や、閲覧履歴のビッグデータをもとにスマホやPC画面に掲載される広告(行動ターゲティング広告)は「狙われている感」が満載です。


それが本当に気になるものならいいのです。しかし、たとえば金融関連の原稿を書くために調べた、クレジットカードのネット広告がしつこく出てきたりすると辟易します。


行動ターゲティング広告で狙い撃ちされるのは、何もスマホやPCで何かを検索したときだけにとどまりません。


タクシーに乗る度に、同じような広告が座席前の液晶画面に繰り返し映し出された、といった経験があなたにもあるのではないでしょうか。


これは、カメラがリアルタイムで判別した乗客の性別と年齢層に応じて広告を出し分けるターゲティング広告の一種。もはや、いつどこにいても広告に狙い撃ちされる時代も近いかもしれません。


その点、たまたま合わせたチャンネルで偶然に見たテレビ番組の情報ならば、「狙われている」とは考えません。


電柱の陰で待ち伏せされていた異性に会ったら恐怖でしかありません。


しかし、見知らぬ街で偶然に、知り合いの異性と出会ったら、そこになにやら見えざる運命のようなもの(笑)を感じるのに似ているかもしれません。


もやは視聴者は「広告」に騙されない


視聴者や消費者のメディア・リテラシーは昔に競べてかなり高くなっています。


「リテラシー」とは、もともと読み書き能力のことを意味しますが、この場合は、テレビで紹介される情報が、何のために放送されているかを見分ける能力といってよいでしょう。


たとえば、トーク番組に普段は決して出演しないような、超有名俳優と女優がコンビで出ていたら「なるほど、映画や新しいドラマの宣伝か」とすぐ気づく人が、今はほとんどでしょう。


少し前に、とある人気バラエティ番組の街ロケ中、〝偶然〟、ヒョウ柄の服を着た大阪のおばちゃん軍団が現れるといった演出がありました。


テレビ業界の人間が見れば、「さすがにこれは仕込みかも」と気づきます。


しかし、そのときはツイッターにも放送中から「このおばちゃんたち、役者だろ」「他の番組で見たことがあるぞ」といった投稿が殺到、瞬く間に拡散しました。

実際に大阪のおばちゃんたちは仕込みでした(ちなみにこの演出はヤラセにはあたりません)。今どきの視聴者はそれを見破るだけのリテラシーを持っているのです。


そうしたメディア・リテラシーの高い、賢い視聴者には「お金に頼った宣伝っぽい情報」より、「たまたま偶然に出会った情報」のほうが、はるかに信頼されるのです。


テレビPRはコントロール不可能


ただし、PRにもデメリットはあります。情報を取り上げるかどうかはメディア側が判断するため、確実に出演できるとは限りません。


どのように情報が載るのか、コントロールすることもできません。


伝えたいことをいくら力説しても、番組サイドの制作意図に関係のないことはすべてカットされます。ときには取材してもらっても、全部カットになることだってありえます。



このようなデメリットもあるテレビ取材ではありますが、タダで、数千万~数億円も費用がかかる広告より信頼される宣伝が可能なのですから、メリットのほうがはるかに大きいはず。


失敗してもほとんど費用はかかりませんので、挑戦してみない手はないでしょう。

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テレビ取材を受ける方法

© 2020 by Akihiro Ishida